月曜の朝、フロアに入って、少しだけ空気が違うことに気づきました。
同期のKの席が、変わっていたのです。窓際の、部の島から一つ離れた席。パソコンと、段ボールがひと箱。彼は私と同じ年に入社して、私より先に課長になり、私より先に次長になった男です。その背中が、その朝は一回り小さく見えました。
何があったのか、フロアの誰もが知っていて、誰も口にしませんでした。私も、しませんでした。
その夜、家族が寝静まったあと、私はスマホでこう検索しました。
「役職定年 みじめ」
この記事は、その夜から始まった私の記録です。同じ言葉を検索したことのある方に向けて書いています。
同期の背中に、2年後の自分がいた
Kの変化は、静かに、しかし確実に進みました。
まず、会議の招集メールから彼の名前が消えました。次に、彼の席に決裁を求めて並ぶ人がいなくなりました。昼になると、以前は部下たちと連れ立って出ていったのに、一人で先に席を立つようになりました。誰かが彼を避けているわけではないのです。ただ、彼に用事のある人が、いなくなっただけでした。
私の勤務先には、一定の年齢で役職を退く決まりがあります(勤務先では役職は変わらないが、59歳になった段階で引継ぎに1年かけて後方支援する。役職定年制度)。入社したころから知っていた制度です。知っていたはずなのに、私はそれを、自分の人生の出来事として考えたことが一度もありませんでした。
Kの背中を見て、初めて気づいたのです。あれは2年後の私だ、と。
役職定年について書かれた記事は、世の中にたくさんあります。制度の背景、企業側の狙い、給与がどのくらい下がるかの統計。私もあの夜、ずいぶん読みました。けれど、どの記事を読んでも、胸の奥のざらつきは消えませんでした。私が知りたかったのは制度のことではなく、この感情に名前をつける方法だったのだと、今なら分かります。
「みじめ」の正体を、夜中3つに分解してみた

その夜から、私は眠れない夜に少しずつ、自分の中のざらつきを言葉にしていきました。ノートに書き出してみると、「みじめ」という一語に押し込めていた感情は、実はいくつかの違うものでできていました。
給料が下がることより、値札を貼り替えられること
お金の不安は、もちろんあります。住宅ローンも、子どもの学費も、まだ終わっていません。
ただ、ノートに書き出して気づいたのは、金額そのものより「同じ自分なのに、値札だけが貼り替えられる」ことへの引っかかりのほうが大きい、ということでした。昨日までの経験も判断力も、一晩で消えるわけではありません。それなのに数字だけが変わる。あの違和感は、収入の問題というより、尊厳の問題に近いのだと思います。
肩書きを失うことより、話しかけられなくなること
Kを見ていて一番こたえたのは、彼の名刺が変わったことではなく、彼の周りから人の流れが消えたことでした。
役職というのは、権限や手当である以前に、「人が自分に用事を持ってきてくれる理由」だったのかもしれません。それが外れた瞬間、悪意のない静けさが訪れる。あの静けさを想像することが、私には一番の恐怖でした。
一番怖いのは、自分でも自分の値段がわからないこと
そして最後に残ったのが、これでした。
会社の評価表の外で、私はいくらの人間なのか。30年あまり、私はその問いを考えずに済んできました。考えずに済む場所に、いさせてもらっていた、と言うほうが正確かもしれません。役職定年がみじめに感じられるのは、本人が弱いからではなく、自分の価値を測るものさしを会社に一本化したまま、その一本を取り上げられる構造だからではないか。
夜中のノートの隅に、私はそう書きました。断定はできません。ただ、そう考えた瞬間、少しだけ息がしやすくなったのは本当です。責めるべきは自分の弱さではなく、ものさしが一本しかなかったことのほうだ。それなら、話は変わってきます。
ものさしは、今から増やせるかもしれないのですから。
前夜の今だから、できることがあった
役職定年を迎えたあとの記事はたくさんあります。けれど私はまだ、迎えていません。あと2年、「前夜」の時間が残されています。この時間の使い方が、辞令の日の感じ方を変えるのではないか。そう考えて、私は二つのことを始めました。
会社の外に「もう一つの値札」を作り始めた
一つ目は、副業としてのブログです。
正直に書くと、最初の数か月の収益は、缶コーヒー数本分にもなりませんでした。それでも、初めて会社の外で自分の書いたものにお金が発生した日のことは、よく覚えています。金額の問題ではありませんでした。会社の評価表とはまったく別の場所で、自分に小さな値札がついた。その事実が、夜中のノートに書いた恐怖を、少しだけ軽くしてくれたのです。
副業を始めるにあたって調べた税金や確定申告のことは、別の記事に記録としてまとめています。
学び直しは、防具ではなく窓だった
二つ目は、学び直しです。
始める前は、正直「防具」のつもりでした。役職を失ったあとに丸腰でいないための、鎧のようなもの。けれど実際に始めてみると、感覚は少し違いました。新しいことを学んでいる時間は、社内の立場のことを忘れられる。50代の学びは武装というより、閉め切っていた部屋に開いた窓のようなものだった、というのが私の実感です。
念のため書き添えると、これは「こうしたほうがいい」という話ではありません。副業にも学び直しにも向き不向きがあり、私もまだ結果が出たとは言えない途中経過です。ただ、前夜の時間に何かを始めた人間の記録として、残しておきたいのです。
Kと飲んだ夜のこと
先日、思い切ってKを飲みに誘いました。あの席替えから、数か月が経っていました。
重い話になるだろうと覚悟していたのですが、二杯目のビールのあと、Kが口にしたのは意外な言葉でした。
「最初のひと月は、正直きつかった。でもな、金曜の夜に仕事のことを考えてない自分に気づいて、驚いた。何年ぶりだろうと思った」
みじめじゃないのか、と私は聞けませんでした。代わりにKは、こう続けました。
「みじめかどうかはさ、たぶん辞令の日に決まるんじゃないんだよ。その日までに、会社の外に何を持ってるかで決まるんだと思う。俺は何も持ってなかった。だからきつかった。お前はまだ時間があるだろう」
帰りの電車で、私はその言葉を何度も反芻しました。みじめさは辞令が運んでくるのではなく、空っぽの手が感じるものなのかもしれない。だとしたら、前夜の私にできることは、まだある。
役職定年まで、あと2年
「役職定年 みじめ」と検索したあの夜の自分に、今の私が言えることは多くありません。制度は変えられないし、辞令の日は近づいてきます。不安が消えたわけでもありません。
ただ、一つだけ変わったことがあります。あの夜の私は、みじめになるかどうかを「会社に決められるもの」だと思っていました。今の私は、その半分くらいは、前夜の過ごし方で自分の側に取り返せるのではないかと思っています。
もし今夜、同じ言葉を検索して、この記事にたどり着いた方がいたら。あなたのざらつきには、ちゃんと理由があります。そしてたぶん、まだ時間もあります。
私もまだ、前夜の途中です。この続きは、また記録していきます。








